サラリーマンに成るはずが、父の涙に負け、家業を継ぐために調理師学校へ。負けず嫌いの血が騒ぎ、実技も含め首席で卒業。 東京都内では洋食。札幌ではセンチュリーロイヤルホテル・テルメインターナショナルホテルで和食を修行。
レストラン若葉に戻ってから「ひる貝カレー」の復活・日本海岩内海洋深層水を使った「岩内の塩ラーメン」の開発など、まだ「地産地消」が広がる前から地元の食材に拘り、スロウフードを実践して、テレビを始めマスコミにも随分取り上げられる。
家業の傍ら、商工会青年部の活動を通して地域貢献に目覚め、いよいよ“中学生時代からの夢”であった政治の道を志す。
共和町議会議員時代は、定例会ごとに必ず一般質問を行う(共和町議会には代表質問は無く、再々質問まで)。
新人の第一回目から13回の定例会で延べ25問。それも一回の質問で終わることはまず無く、再質問は当たり前。再々質問まで行くことがほとんど。なぜなら、質問と同時に建設的な意見を交えた中で、最初から町政に必要な事項を訴え続けたから。
主に食育やAEDの設置、トレーサビリティの推進を訴えるなど、まわりがまだ良く理解できていない質問をしたが、今では当たり前になっている。途中、共和町議会史上初の「反対動議」を出す。
普段はスポーツを愛し、野球は現役(監督兼任)。陸協役員として審判もこなす。
カラオケの十八番は♪時代遅れ♪・♪何も言えなくて・・・夏♪ 人の話を聞くのが上手な親分肌だが、情に厚く涙もろい熱血漢。
昭和40年3月 |
後志管内共和町生まれ 49歳 |
昭和58年3月 |
小樽潮陵高等学校卒業 |
昭和63年3 |
法政大学社会学部応用経済学科卒業 |
平成元年3月 |
服部栄養専門学校調理師科卒業 |
平成元年4月 |
調理師(東京、札幌で修行後、家業を継ぐ) |
平成5年5月 |
有限会社 若葉 入社 |
平成15年5月 |
北海道商工会青年部連合会副会長(~平成17年4月) |
平成15年11月 |
共和町議会議員当選(~平成19年2月) |
平成16年4月 |
北海道青少年団体連絡協議会副会長(~平成17年4月) |
平成17年2月 |
民主党北海道 DASH政権塾参加 |
平成18年3月 |
“心にグレート”奪取政権塾NET(DASH政権塾OB会)会長 |
平成19年4月 |
北海道議会議員選挙 札幌市北区選挙区に立候補約2ヶ月の選挙戦で、16,716票を獲得するも次点 |
平成19年5月 |
北海道4区・衆議院議員 鉢呂吉雄 秘書(~平成21年9月) |
平成21年10月 |
北海道比例ブロック、衆議院議員 山岡 達丸 第一秘書 |
平成23年4月 |
北海道議会議員初当選 |
現在 |
札幌市北区民主党代表 |